柴犬のマルが亡くなりました。
野良だったので正確な年齢は分かりませんが、推定で15〜18歳。湖のそばで見つかったときには痩せ細っていて、吠えて、触ろうとすれば全力で抵抗する犬でした。一緒に過ごせたのは、そこから亡くなるまでのおよそ5年です。
ぼくは、マルが息を引き取る瞬間には立ち会えませんでした。 亡くなったのは夜中で、朝起きたら妻から連絡が入っていて、それから実家へ向かいました。
この記事に書くのは、乗り越え方でも、心の整理のしかたでもありません。野良だったマルとの出会いから最期までに、実際に起きたことだけを書きます。
そして、いちばん辛かったのは亡くなった瞬間ではありませんでした。痛み止めの注射が次に打てるまでの、4時間を待つ時間です。
すけ北海道でダックスと保護猫と暮らす介です
マルは実家の犬でしたが、ぼくにとっては初めてちゃんと関わった犬でした


野良だった柴犬マルとの出会い|痩せて、吠えて、脱走した日々
マルとの出会い、最初に見たときのマルは、骨が浮くほど痩せていて毛並みは荒れていて、表情も弱々しかったです。ただ、力だけは異様に強かったのを覚えています。目の奥に、野良として生き抜いてきた犬の強さのようなものがありました。
マルを見つけたのは、妻の姉でした。家からけっこう離れた湖のそばで、春のこと。そこから、実家で飼うことになりました。
「本当に一緒に暮らしていけるのか」 ——最初はそう思っていました。
そしてもうひとつ、後から気づいたことがあります。マルと過ごせたのは、亡くなるまでのおよそ5年です。推定15〜18歳で逝ったということは、迎えた時点で、マルはもう10歳を超えていた計算になります。 犬のシニア期の入り口が7歳なので、家に来たときにはとっくにシニアだったわけです。子犬から育てた15年ではなく、後半の5年だけを一緒に過ごしました。
触ろうとすれば全力で抵抗した最初の頃
触ろうとすれば暴れて、吠えました。いつ噛まれてもおかしくない状態で、正直に言うと怖かったです。
リードでつないでいても脱走したことがあり、気づいたときには他の犬のところへ走っていっていました。犬らしいと言えばそれまでですが、当時は追いかけるだけで精一杯でした。
距離が縮まったのは散歩とごはんの繰り返しだけだった
では何で距離が縮まったのか。特別なことは何もしていません。
- 散歩に連れて行く
- ごはんをあげる
この2つを毎日繰り返しただけで、しつけの本に載っているような方法も、特別なグッズも使っていません。それでも少しずつ、マルの態度は変わっていきました。
家の中に入れるようになってから、距離はさらに近づきました。あの頃は必死でしたが、いま思えば信頼は特別なことでは作れなくて、毎日の繰り返しでしか作れないということを、マルに教わっていたのだと思います。



何日で慣れたか、正確には覚えていないんですよね。気づいたら吠えなくなっていた、という感じです


なつかないまま家族になった柴犬|膝に乗らない、でも遠吠えする
マルは、最後までなつきませんでした。
自分から甘えてくることはなく、膝に乗ることも、すり寄ってくることもない。呼んでも来ない犬です。よくある「距離が縮まって、べったり甘えるようになりました」という話には、まったくなりませんでした。
ただ、こういうことは知っています。
- 飼い主がいなくなると、寂しくて遠吠えをする
- 散歩中に飼い主を見つけると、グイグイ近づいていく
- そして近づいたあとは、甘えずにそのまま素通りする
なついていないのと、求めていないのは別のことでした。マルはずっとそういう犬でした。
家より外が好きで、玄関の前から動かなくなる
マルは外が好きでした。
散歩の時間になると別の犬のようにそわそわして、目が輝いて、家の中を走り回ります。散歩中のマルは本当に嬉しそうで、生きがいだったと思います。
散歩で大変だったのは帰りです。家が近づくと、必ず素通りしようとし玄関の前で立ち止まって、動こうとしません。やっと家に入れても、しょんぼりしてごはんを食べなかったり、別の部屋に行ったりして、ささやかな抵抗をしていました。
外が好きだった理由は、野良として生きた時間が長かったからかもしれません。家という空間には、最後まで完全には馴染まなかったのだと思います。だから家の中では、退屈しないようにできるだけ声をかけて、撫でていました。
昨日食べたものは今日食べない
ごはんも一筋縄ではいきませんでした。
とにかく食べません。マルには明確なポリシーがあって、昨日食べたものは、今日は食べないのです。同じフードが2日続くと、もう見向きもしません。
マルはかなりのグルメ。何を出せば食べるのかを毎日考えるのが、日課のようになっていました。



オレは何でも食べるぞ。残さないのが一番だからな


年齢が分からない犬の病気|脳炎で倒れ、首が曲がっても澄ました顔
マルは、たくさん病気をしました。
脳炎になったことがあります。体が急に固まって、何度も倒れました。病院に連れて行っても回復せず、あのときは本当に「もうダメかもしれない」と思いました。
急に首が曲がってしまったこともあります。バランスが崩れて、歩くのも、食べるのも、寝ることさえ大変そうでした。それでもマルは、首が曲がったまま、いつもの澄ました顔で生活していました。
ここで一番こたえたのは、正確な年齢が分からないことでした。
犬の病気は、年齢によって「老化の範囲なのか」「治療で戻るのか」の見立てが変わります。マルにはその基準がありません。推定15〜18歳という幅しかないので、病気になるたびに「これは寿命なのか、治るものなのか」が判断できませんでした。何かあるたびに「もしかしたら、もうダメかも」と身構えることになります。
年齢が分からない犬と暮らすということは、シニアの入り口がどこかも分からないまま暮らすということでした。





年齢が分からないと、健康診断の内容も決めにくそうですね



そうなんです。だから「今年で何歳ということにしよう」と家族で決めていました


心臓の腫瘍と最期の3日間|歩けなくなってから息を引き取るまで
マルの心臓のところに、腫瘍が見つかりました。
あんなに散歩が好きだったマルが歩けなくなる日が来るとは、正直、想像していませんでした。ここからが、覚悟を決めるまでの時間になります。
食べなくなり、自宅で点滴を打つようになった
最後は、何も食べなくなりました。
点滴を打つようになったんですが、病院が遠く毎回連れて行くことはできないので、先生に点滴の打ち方を教わって、家でやることになりました。
点滴は、10時間以上あけないと次を打てません。時計を見ながら、間違えないように、少しでも楽になってほしいと思いながらの看病でした。
素人が自分の家で点滴を打つというのは、想像していたより怖いことでした。それでも、病院まで毎回連れて行かずに済むというだけで、マルの負担はずいぶん減ったはずです。
痛み止めが4時間あくまで待つ時間が、いちばん辛かった
亡くなる3日前から、マルは立てなくなりました。寝たきりです。ついこの前まで、ゆっくりでも自分の足で歩いていたのに。
亡くなる1日前からは、声を出しながら息をするようになりました。見ていて分かるほど辛そうで、痛み止めの注射を打っていました。
この注射も、4時間以上あけないと次が打てません。
ここが、いちばん辛い時間でした。
「まだ打てない」「でも辛そうだ」この2つが頭の中で行ったり来たりし時計を見て、あと何時間かを数えて、また辛そうな呼吸を聞く。そのあいだ、こちらにできることは何もありません。
看取りの辛さというと、亡くなる瞬間の話だと思われがちです。実際に一番きつかったのは、何もできないと分かっている時間を、時計を見ながら過ごすことでした。
もしいま同じ時間の中にいる方がいるなら、その4時間で何もできていないと、自分を責めないでいてほしいです。 間隔をあけるのは薬の決まりであって、飼い主が怠けているからではありません。そばにいて、時計を見ていること自体が、すでに看病です。
マルが逝ったのは夜中で、ぼくは寝ていた
マルが息を引き取ったのは、夜中でした。場所は実家、そばにいたのは妻です。
ぼくは自分の家で寝ていました。朝起きて、妻からの連絡に気づいて、それから実家へ向かいました。
実家に着いて見たマルの顔は、前の日と別人だった
実家に着いて、マルの顔を見ました。
前の日まで、声を出しながら息をしていて、見ているだけで辛くなるような顔でした。それが、狐のようなすっとした顔になっていました。とても安らかな表情です。
思ったのは「終わってしまった」と「お疲れさま」の2つです。同時に来ました。


看取ったあとに残ったのは、悲しみより一緒に歩いた時間
見送ったあと、気持ちは順番に動きました
実家に着いてマルの顔を見た直後に出てきたのは、「お疲れさま」でした。悲しいという感じではありません。長く苦しそうにしていたのが終わった、という気持ちのほうが先に来ました。
それから数日して、寂しさが来ました。呼んでも来ない犬だったのに、いないと分かった途端に、家の中が物足りなくなったように感じました。なついていなかった犬でも、いなくなれば寂しい。
そしていま出てくるのは、「会いたい」です。
悲しみは確かにありますが、時間が経つほど前に出てくるのは、一緒にいた時間のほうです。散歩の途中で急に止まってにおいを嗅いでいた姿とか、玄関の前で動かなかったときとか、そういうことばかり思い出します。
ちなみに、妻はマルを見送ったあと、約2週間仕事に行けなくなりました。同じ犬を見送っても、出方はまったく違います。日常が戻らない状態が続くようなら、早めに人に話したほうが結果的にラクです。


唯一の後悔|鹿肉ジャーキーをもっとたくさん食べさせたかった
大きな後悔はありません。できることはやったと思っています。
強いて言えば、ひとつだけ。鹿肉ジャーキーを、もっと早く、もっとたくさん食べさせてあげたかった。
マルはグルメでしたが、鹿肉なら食べる確率が高かったのです。いま自分で作っているジャーキーを、たくさん食べさせてあげたかったです。
遺骨は、いまも棚の上に置いています
マルの遺骨は、写真と一緒に、棚の上です。
骨壷は、地元の火葬業者が用意してくれたものをそのまま使っています。仏具は写真立てだけで、位牌もおりんも仏壇もありません。それでも、手を合わせる場所があるというのは、思っていたよりずっと大きいことでした。
「会いたい」が出てくるようになってから、余計にそう思います。もし土に埋めていたら、手を合わせる先が何もないままだったはずです。




これから犬を迎える人へ|野良でも、なつかなくても家族になります
マルは野良で、なつきませんでした。年齢も分かりませんでした。そのうえ、迎えたときにはもうシニアでした。
それでも家族になりました。
時間はかかりますし簡単でもありません。暴れるし、吠えるし、脱走もします。それでも、散歩とごはんを毎日繰り返していれば、家の中に入れるようになります。膝には乗らないままかもしれませんが、なつくかどうかと、家族になれるかどうかは別の話です。
5年でも短くはなかった
「もう歳だから」を理由に迎えるのをやめる人はいると思います。ぼくたちがマルと過ごせたのも、5年です。子犬から迎えれば15年前後あるところを、後半だけ引き受けた形でした。
短いと思うでしょうか。ぼくは、そうは思いませんでした。5年あれば、暴れて吠えて怖がられていた犬が、みんなに愛される犬になります。 十分に長い時間です。
もし成犬やシニアを迎えるかどうかで迷っている方がいるなら、年数の少なさは、そのまま思い出の少なさにはならないとだけ、お伝えしておきたいです。
死ぬのは怖いです。苦しそうな呼吸も、弱っていく姿も、何もしてあげられない時間も、それでも、迎えるのをやめる理由にはならないと僕は思っています。





ぼくは、くうたちを迎えるときに「いつか死ぬのが怖い」とは考えていませんでした。マルを見送って初めて知ったことです
犬でよくある質問5つ
まとめ|最期の瞬間にいなくても、看取りでした
野良だった柴犬のマルを、実家で看取りました。
痩せて吠えていた出会いから、散歩とごはんで縮まった距離、なつかないまま続いた日常、脳炎と首の曲がり、心臓の腫瘍、そして立てなくなった最期の3日間。いちばん辛かったのは、痛み止めが打てるまでの4時間でした。
ぼくは息を引き取る瞬間には立ち会えていません。それでもこの記事のタイトルを「看取りました」にしたのは、看取りというのは最期の数分のことではなく、弱っていく犬のそばで過ごした時間ぜんぶのことだと思うからです。点滴の間隔を数えた10時間も、注射を待った4時間も全部が含まれています。
野良として生きてきた犬が、最後は家族のいる家で逝った。それは奇跡のようなことだったと思っています。



大丈夫、最期の瞬間にいられなくても、そこまでの時間はぜんぶ看取りですから





オレはまだ散歩に行ける。今日も行くからな



わたしは、そばにいます



わたくしもここにいるので、ご心配なく











